NewJeans特集①「Ditto」MV 徹底考察レポート

特集&解説
この記事は約5分で読めます。

NewJeansが放った「Ditto」のミュージックビデオは、単なるアイドルのプロモーション映像の枠を完全に超越した、極めて文学的で映像美に溢れる一つの短編映画です。本作は「side A」と「side B」という2つの視点から構成されており、これまでのK-POPシーンには存在しなかったノスタルジックな世界観で、世界中のリスナーに強烈な衝撃を与えました。本記事では、この映像作品が描くファンとアイドルの残酷で美しい関係性、そして空間の成り立ちや都市の歴史を紐解く地理学の視点から、このMVに隠された魔法のような普遍性について深く独自の考察を展開していきます。

ファンの主観とアイドルの実像を映すバン・ヒスの存在

この映像作品を紐解く上で最大の鍵となるのが、NewJeansのメンバー5人の他に登場する、常にビデオカメラを回し続ける6人目の少女「バン・ヒス(Ban Heesoo)」の存在です。彼女は常にレンズ越しにメンバーを見つめ、笑い合い、かけがえのない青春の時間を共に過ごしています。

この「バン・ヒス」という名前の響きが、NewJeansの公式ファンクラブ名である「Bunnies(バニーズ)」に似せられていることからも分かる通り、彼女は我々「ファン」あるいは「リスナー自身」の明確なメタファー(暗喩)として描かれています。「side A」の世界では、ヒスとメンバーたちが学校の体育館で仲良くダンスを練習したり、放課後にお菓子を食べたり、パジャマパーティーをしてはしゃぐ様子が、非常に美しく、どこか夢見心地なトーンで描かれています。これはまさに「推し活」をしている最中の、ファン自身の脳内に広がる幸せな没入感と主観的な世界そのものです。ファンにとってアイドルは、人生を彩る親友のように身近な存在として心の中に生きているのです。

客観的な視点が突きつける残酷な現実と境界線の案内人

しかし、視点が切り替わる「side B」において、物語は突如として残酷な現実(客観)を私たちに突きつけます。「side A」でヒスが楽しそうにカメラを向けていた空間には、本当は誰もいなかったのです。ヒスはたった一人で虚空に向かって笑いかけ、何もない空間を撮影し続けていました。ヒス以外のクラスメイトたちが、宙に向かって一人で熱狂している彼女を不可解な目で見つめる不穏なカットは、アイドルという「実体のないもの」に熱中しているオタク(ファン)の姿が、社会や第三者の目線からはどのように映っているのかという、非常に冷徹で孤独な事実を突きつけてきます。

映像内に頻繁に登場する「鹿」は、主観の幻想世界に溺れるヒスを、客観的な現実世界へと引き戻そうとする「境界線の案内人」であり、彼女を見守る「理性の象徴」として機能しています。アイドルとの時間は絶対的な真実でありながらも、決して物理的に触れ合うことはできないという、エンターテインメントの構造的な残酷さがここに描かれています。

青春からの卒業と永遠の絆を肯定するメッセージ

物語の終盤、ヒスは長年大切にしてきたビデオカメラ(アイドルへの執着や思い出の象徴)をその場に置き、雨の中で傘をさして待つ男性の方へと歩き出します。この男性は、彼女がこれから向き合っていく現実の恋人やパートナー、あるいは「大人になること」そのものの象徴です。

しかし、この物語は単なる「オタクからの卒業」や「アイドルの否定」で終わるわけではありません。大人になり、現実世界を生きるヒスが、ふと昔のビデオテープを再生すると、画面の中にはあの頃と全く変わらずに微笑みかけるNewJeansの姿が記録されていました。「アイドルはあなたの現実の人生を代わりに生きることはできない。けれど、私たちが共に過ごしたあの熱狂の時間は決して嘘じゃなかった(Ditto=私も同じだよ)」。いつかファンが離れていく日を見据えながらも、その記憶を永遠の絆として全肯定してくれる。この優しくも切ないメッセージこそが、「Ditto」が世界中で愛され続ける最大の理由なのです。

地理学と建築史から紐解く無国籍なノスタルジーの魔法

そして、この映像作品の説得力を極限まで高めているのが、緻密に計算されたロケ地の選定です。空間の特性や都市の成り立ちを専門的に探求する地理学の視点から分析すると、このMVの魔法の正体がはっきりと見えてきます。

本作の主な撮影は、韓国の大邱(テグ)にある「啓聖(ケソン)高等学校」や「青蘿(チョンラ)の丘」周辺で行われました。大邱は、韓国の中でも赤レンガの西洋風建築といった近代建築が多く残る「歴史と情緒の街」として知られています。もしこの映像が、ソウルの中心部にあるような近代的なガラス張りのビルや無機質な学校で撮影されていたら、ここまで人々の心を揺さぶる「記憶の中の学校」という雰囲気は絶対に生み出せなかったはずです。

大邱という土地が持つ赤レンガ造りの重厚な校舎や、盆地特有の少し霧がかったような湿度のある空気感。これらがスクリーン上で絶妙にブレンドされることで、「いつの時代か特定できない」「どこの国かわからない」という、見事な『無国籍のノスタルジー』が生み出されています。特定の文化圏に依存しない「地理的な古都の空気感」を巧みに利用し、世界中の誰もが「これは自分の子供時代の記憶のようだ」と錯覚してしまう映像美(地理的普遍性)を構築した制作陣のロケーション戦略は、まさに芸術の域に達していると言えます。

タイトルとURLをコピーしました